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本能寺

京都のあちこちに歴史ある社寺仏閣がたくさん!
詩の小路店がある新京極周辺も、趣きあるお寺が点在しています。
ここでは京都らしい散策スポットをご紹介。気軽にぶらり散策してみてはいかがでしょうか。
「手描き名入れ」などのセミオーダー加工待ちの時間にまわるのもいいですよね♪

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1  A  [本能寺 - ほんのうじ - ]

本能寺

住所:京都市中京区寺町通御池下ル
拝観時間:7:00〜17:00(宝物館は10:00〜16:00)
拝観料:無料(宝物館は500円)
※取材時の情報です。

本能寺 石碑

1 [本能寺] [石碑]

戦国時代に織田信長が明智光秀に暗殺されたことでも有名な「本能寺」は、京都の寺町御池を少し下った場所にあります。
有名な言葉としては「敵は本能寺にあり!」と言うのがあります。
時代劇や大河ドラマなどで、一度はどこかで聞いたことのあるセリフではないでしょうか?
また「本能寺」は、観光客が多いことでも有名です。
外国人の方も多いです。

本能寺 門

2 [本能寺] [門]

「本能寺」は、織田信長に縁が深いので、戦国時代好きなファンの人もたくさん訪れます。
最近では、戦国時代を舞台にしたゲームが、若い世代の人達に人気があるようです。
特に若い女性ファンが、増えているようです。
若い世代から年配の方まで、幅広い層に人気の観光名所です。

本能寺 由来

3 [本能寺] [由来]

作家の司馬遼太郎さんの小説には、戦国時代を舞台にした小説が数多くあります。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、天下を取った有名な武将から、あまり有名ではない知られていない武将まで、歴史ファンにはたまらないマニアックな話などもあります。
司馬遼太郎さんの小説を読むと、明智光秀がそんなに悪者に思えないかも知れません。
興味のある方は、ぜひご一読をどうぞ。

本能寺 銅像

4 [本能寺] [銅像]

正門を入ってすぐに、 の銅像があります。
この銅像を背景にして、記念写真を撮られる観光客の方も多いです。
ご家族連れや、ご夫婦や、カップルなどで、記念撮影されています。
また「本能寺」は、寺町御池を少し下った場所にありますので、地下鉄の「市役所前」駅を下車して、すぐ近くの場所になります。

本能寺 大賓殿

5 [本能寺] [大賓殿]

本能寺の中にある大賓殿では、定期的に展示会などが開催されています。
ここでしか見れない貴重な物などがたくさんあるようです。
戦国時代ファンの方や、戦国武将マニアの方や、織田信長ファンの方は、ぜひチェックしてみて下さい。

本能寺 池

6 [本能寺] [池]

本能寺は街中にあるのですが、一歩お寺の中に入ると、そこは静かで落ち着いた癒しの空間になります。
繁華街でのお買い物に少し疲れたら、立ち寄って少し休憩するのにも、良いかも知れません。
境内は、近所の小さな子供達の、遊び場にもなっています。
近所の方には、憩いの場所ですね。

本能寺 信長公廊

7 [本能寺] [信長公廊]

織田信長ファンには必見です。
歴史ファンや、戦国時代ファンや、戦国武将マニアの方に、お勧めの観光スポットです。
京都に観光に来られた際は、ぜひ本能寺へ、お立ち寄り下さい。
織田信長をテーマにしたゲームは、昔からたくさんあります。
天下統一に魅力を感じる男性の方が多いのかも知れません。

本能寺 

8 [本能寺] []

本能寺 

9 [本能寺] []

戦国時代に織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」で有名なお寺です。
ここは戦国時代が好きなファンや観光客で賑わっています。
本能寺(ほんのうじ)
京都府京都市中京区にある法華宗本門流の寺院です。
本尊は、日蓮が定めたとされる久遠常住具足の「南無妙法蓮華経」の曼荼羅になります。
戦国時代に、織田信長が明智光秀により不意打ちで討たれた「本能寺の変」の舞台になった事でもとても有名です。
塔頭が七院(恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源妙院、雲龍院)もあります。

建立当初は「本応寺」と言う寺号でした。
室町時代に、京都油小路高辻と五条坊門の間に、日隆によって創建されたとされています。
日隆は、妙本寺の月明と本迹勝劣を巡って対立した為に、月明の宗徒により本応寺は破却されて、日隆は河内三井・尼崎へ移りました。
その後、帰洛して、大檀那の小袖屋宗句の援助によって、千本極楽付近の内野に本応寺を再建しました。
さらに、如意王丸から六角大宮の西、四条坊門に土地の寄進を受け再建し、寺号を「本能寺」と改めました。
本能寺は日蓮の本義でもある「本門八品」の法華経弘通の霊場として栄えました。
中世後期は、京都法華宗21ヶ本山のひとつとなりました。
当時は足利氏の保護を受けていました。
寺域は、六角以南、四条坊門以北、櫛笥以東、大宮以西で方4町の敷地を有しています。
多くの子院も有しています。
応仁の乱の後、荒れ果てた京の都の復興に尽力した町衆達の大半は、法華宗門徒であったとされています。
本能寺はその本山として繁栄しました。
比叡山との教義論争に端を発した天文法華の乱により、堂宇のほとんどを焼失しました。
一時は堺の顕本寺に避難したとされています。

帰洛した、日承上人が入寺して、四条西洞院・油小路・小角・錦小路にわたる地域(旧本能小学校の近辺)に、広大な敷地を得て、大伽藍が造営されました。
子院も30余ヶ院を擁したとされています。
日隆の開山以来、尼崎の本興寺と共に、山号はなく両山一貫主制でしたが、歴代の貫主が地方に布教して、日承の時代には、末寺が畿内、北陸、瀬戸内沿岸諸国、さらに種子島まで広布して、本能寺を頂点とする本門流教団が成立しました。
本能寺は、早い時期から種子島に布教していた事からも、鉄砲や火薬の入手につき戦国大名との関係も深かったとされています。
織田信長は、日承に帰依して、本能寺を上格中の宿所としていました。
戦国時代に本能寺で、織田信長が明智光秀率いる軍勢に包囲されて、自刃する事件が起こりました。
この事を「本能寺の変」と呼んでいます。
その際に、堂宇を焼失しました。
その後、豊臣秀吉の命令により、現在の場所(京都市中京区寺町御池下ル)へと移転しました。
伽藍も再建されました。
現在の御池通と京都市役所を含む大きく広大な敷地を有していたとされています。
江戸時代になると、徳川幕府から朱印寺領40石を与えられました。
戦国大名との関係が深かった事もあり、江戸時代には末寺92を数える大寺院になりました。

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